◇「アセス逃れ問題は」川崎市の住民運動にとって「永遠の」テーマと言っても過言ではありません。川崎市は、1976年、全国の自治体に先駆けて「環境影響評価条例(アセス条例)」を制定しました。大気汚染公害の激化によるぜん息患者の急増に対処するため、総量規制に踏み込んだ「公害防止条例」、市北部の緑保全運動の高揚を受けての「自然環境保全回復育成条例」とならんで、環境トロイカ条例とよばれ、川崎市を一時、環境先進自治体と言わしめたものです。
◇川崎市のアセス条例は、開発面積が1haを超えると対象になります。20ヘクタール超などとする他の自治体に比べて適用事業の範囲が広いのが特徴です。そのため、費用と時間のかかるアセスの適用を免れようとする事業者のアセス逃れの試みがやみませんでした。面積を1haぎりぎりに抑える単純なものから、1ha超の開発をいくつかに分割し、1期計画、2期計画と時間をずらせて行う小分け開発がその典型例といえます。
◇アセス逃れを追求する運動のたかまりに押され、市は、99年に「複合開発事業」という概念を導入してアセス回避を抑える条例改正を行いました。ところが、アセス逃れ防止条項の不備をつくかたちで突破を図ったのが、ゴールドクレストです。高津区新作のニコン社宅跡地4区画を舞台にしたゴ社の露骨なアセス逃れは、住民提出の請願・陳情が市議会において6度の採択、趣旨採択となる前代未聞の闘いに発展しました。 |